第1話『疾走する残骸』

空が割れていた。
見上げれば、鉛色に淀んだ天の川のごとき巨大な亀裂が、空間そのものを切り裂くように奔っている。そこから覗くのは星のない漆黒と、時折不気味に明滅する菫(すみれ)色のノイズだ。
荒廃した大帯。かつて「地球」と呼ばれていた世界の残骸。
風が吹くたび、砂に埋もれた高層ビルの鉄骨が悲鳴のような金属音を奏で、赤錆びた粉塵が舞い上がる。
その枯れた大地を、一筋の黒い閃光が切り裂いていた。
――ズ、ウゥゥン……。
エンジン音とは違う、空気を重低音で震わせる駆動音。
漆黒と白銀の流線型フレームを纏った異形のバイク――『アーク』。
メーターパネルには青いエーテル光線が波打ち、タイヤが赤錆の砂漠を時速二百キロを超える速度で噛み砕いていく。
ライディングシートに深く身を沈めているのは、ソラだ。
黒いライダースーツの襟を立て、風を突くその瞳は静まり返っていた。冷徹なまでに感情を削ぎ落とした眼光。首元からは、使い古された錆びたドッグタグが一本、風に煽られてカチャカチャと乾いた音を立てていた。
アークのメインパネルから、感情の起伏がない合成音声が響く。
「分かっている」
ソラは短く答え、バックミラーへ視線を走らせた。
砂塵の向こうから現れたのは、三機の「機械獣」だった。
四本足で地を蹴り、胴体からは不気味な管が幾本も伸びている。かつて人間が作った兵器の残骸が、異界の瘴気によって歪に再構築された異形の存在――スカベンジャーたちの遺産だ。赤く発光する単眼が、獲物であるソラたちを捕捉している。
「ソラ、来るよ!」
リアシートにしがみついていた少女――ルキアが、風音に負けじと声を張り上げた。
風にそよぐ銀髪と、機械仕掛けのように整った容姿。旅の途中の廃墟で出会い、なぜかソラに同行を求めてきた謎多き少女だ。
「ルキア、掴まっていろ」
ソラはアクセルグリップを握り直すと、アークのフレーム横に固定された二つの武器へ手を伸ばす。
一つは、漆黒の鞘に収まった長大な日本刀――高周波ブレード。
もう一つは、鈍い銀色に輝く幾何学的な意匠が施された特殊魔導銃。
機械獣の一機が大きく躍り上がり、鋭利な鋼鉄の爪をソラたちの背後から振り下ろした。
「アーク、ヴォルテックス・モード」
ソラの短いコマンドと同時に、バイクの構造が激変する。
ガシィン! と重厚な金属パーツが組み替わる音が響き、前後輪のホイールが左右へと拡張。二輪から三輪の重装甲形態――【ヴォルテックス・モード】へと一瞬で変形した。
同時に、機体を取り囲むように全方位型の青いエネルギー力場――エーテル・バリアが展開される。
ギャリギャリギャリッ!
襲いかかった機械獣の爪がバリアに接触した瞬間、強力な力場によって物理エネルギーが弾き返され、火花を撒き散らして機械獣の腕が砕け散った。
「なっ……バリアを跳ね返したの!?」
ルキアが目を見開く。
だが、ソラには驚く暇など与えられない。右手に特殊魔導銃を引き抜き、後方へ向けて銃口を向けた。
バァン――!
エーテル粒子を凝縮した青い光弾が弾け飛ぶ。
爪を失い体勢を崩した機械獣の眉頭を打ち抜くと、内部のコアが過熱し、激しい爆炎とともに爆破散散した。
「あと二機……!」
残る二機の機械獣は、単眼を一層赤く光らせると、左右に分かれてアークの横腹を突く構えを見せた。この狭い廃墟都市の路地では、三輪の重装甲では取り回しが効かない。
「アーク、エアロ・ストライカー」
再びアークが駆動する。
拡張されていたホイールが水平方向に九十度回転し、側面のカウルが左右に展開。ホバーウイングを形成した。
フゥン……!
摩擦音が消え、アークの機体が地上から数十センチ浮上する。
【エアロ・ストライカー】――高機動浮遊形態だ。
ソラはアークの浮遊能力を利用し、倒壊しかけたビルの壁面へと車体を滑り込ませた。重力を無視し、垂直な壁を時速二百キロで駆け上がる。
「きゃああっ! 壁を走ってる!?」
「舌を噛むなよ、ルキア!」
壁面を駆け上がりながら、ソラは背中から日本刀の柄を掴み、一気に引き抜いた。
刃身が怪しい青白い光を帯び、超高速振動を始める。
追撃のために跳躍してきた二機の機械獣。空中での交差。
ソラは壁面からアークを跳躍させると、空中での一瞬の静寂の中、高周波ブレードを横一文字に振るった。
――閃。
青い光の軌跡が、空中を走る。
斬られた感覚すら残さず、二機の機械獣は胴体からまっぷたつに切断され、空中で激しい爆煙へと変わった。
ドサァッ!
アークは着地の瞬間に再び【クルーザー・モード】へ変形し、滑らかに赤錆の砂漠へと降り立った。爆煙を背に、ソラは刀を鞘へと納める。カチリ、と静かな音が響いた。
「はぁ……はぁ……すご……」
ルキアがソラの背中に額を預け、荒い息を吐く。
「本当に、たった一人で壊滅させちゃった……」
「……」
ソラは答えず、胸元に手をやった。
息が荒い。手指がわずかに震えている。
アークの各種機能――バリア、浮遊、そしてブレードのエネルギー。それらはすべて、ソラ自身の「生体エネルギー」を直接吸い上げて稼働している。多用すれば、肉体が内側から削られていく。
「無理しないで、ソラ。あなたの脈拍、正常値を大きく超えてる」
「問題ない。……慣れている」
ソラは突き放すように言い、アークを停めるとシートから降りた。
黒く焦げた機械獣の残骸へ近づき、その中央コアを検分するためだ。
世界が崩壊し、記憶を失った状態で目覚めたあの日から、ソラの頭の中にはただ一つの目的地しか残されていない。
西の果てにあるとされる中枢――『終着点(オリジン)』。
そこに到達すれば、失われた記憶も、この歪んだ世界の真実もすべてわかるはずだった。
「ねえ、ソラ……これ」
先に残骸の膝元へかがみ込んでいたルキアが、怯えたような声を漏らした。
彼女が指し示していたのは、黒焦げになった機械獣の胸部装甲だった。
そこに刻まれていたのは、煤に汚れた一つの「刻印」。
双頭の翼と、中央に貫く太い剣。
異界の兵器であるはずの機械獣の装甲に、はっきりと印字されていた。
「これ……ソラのバイクについてるマークと、まったく同じじゃない……?」
ルキアの言葉に、ソラは息を呑んだ。
視線を自分の愛機――アークのフロントカウルへと向ける。
そこには、まったく同じ双頭の翼のエンブレムが刻まれていた。
なぜ、己の唯一の相棒であるアークと同じ紋章が、自分たちを襲ってきた野良の機械獣に刻まれているのか?
「……どういうことだ」
ソラが低く呟いた、その時だった。
ビシッ……!
不吉な亀裂音が、はるか上空から響き渡った。
見上げれば、空に張り付く「歪んだ裂け目」の深層から、赤黒い瘴気の束が幾筋も地上へ向けて垂れ下がってくる。
キィィィィン……――
鼓膜を刺すような高い警告音が、世界全体を揺らすように鳴り響き始めた。
空から降ってくる、空虚で機械的なアナウンス。
そして、遥か地平線の向こう――赤く染まる空の果てから、地鳴りのような群動音が近づいてきていた。
一機や二機ではない。数百、数千の機械の群れが、ソラたちの存在する領域を「消去」するために押し寄せてきている。
「ソラ……!」
「乗れ、ルキア!」
ソラはアークに跨がり、強烈にアクセルを踏み込んだ。
エンジンが咆哮を上げ、黒い残骸の街を疾走し始める。
謎のエンブレム。迫り来る機械の群れ。そして、頭上で鳴り響く謎の警告音。
暗雲立ち込める荒野の果てへ、ソラとアークの命懸けの疾走が、いま始まったのだった。
圧倒的な数の追撃を振り切るため、アークの全出力を開放したソラ。だが、その代償としてアークのエーテル・コアが沈黙してしまう。不毛の荒野で立ち往生する二人を救うため、ルキアは旧文明の地下遺構「スクラップヤード」への潜入を提案するが……。